サカサマ続編
長浜市八幡東町は、長浜八幡宮の荘園である八幡荘の東部に位置することから名付けられ、関ヶ原合戦から2年後の慶長7年(1602)の検地帳には既に八幡東村の名が見られます。それから32年後の寛永11年(1634)には、八幡宮の社領が30石余り、井伊藩領の石高が732石となっています。
しかし、八幡東の北東に位置する川崎は大和郡山藩領と旗本領、東の小堀は出羽山形藩領、宮司は宮川藩領です。すべて藩が違っている複雑な土地支配関係が、水利権にも影を落としています。
逆様川は、上流から十分に流れてこない田用水を確保するために、先人が知恵を出し汗を流した土木事業の結晶なのです。なお、逆様川の近くに井戸を掘った歴史もあります。ショッピングセンターの西友長浜楽市店の東域にある九ノ坪池はその名残です。もうひとつのスリバチ池は、残念ながら国道8号線バイパスの下に埋められてしまいました。江戸時代の民衆・農民の歴史はまさに水争いの歴史であり、八幡東町の共有文書も水争いに関するものが数多く残っています。
