3月21日の土曜日の午後、「近江が生んだ知将 石田三成」の出版記念講演会と現地見学会に行ってまいりました。講演会のお話を勝手ながら要約いたしますと・・・
1.佐和山城の役割は変遷している。
当初の京極氏や浅井氏時代には、南近江に対する最前線、いわゆる境目の城だった。
その後、信長が上洛するための宿泊所となった。(信長公記によれば10回泊まっている)
堀尾氏や堀氏、三成が城主の時代は、城主が住んで城下町の政治を行う城。
2.城下町は佐和山の西側には無く、東側の現彦根市鳥居本町。
しかし、井伊氏が入城し彦根に移るまでの間に、西側に建物が建てられた可能性がある。
3.中山道の鳥居本宿は江戸時代に入ってから形成され、城下町時代は町が無かった。
江戸幕府が城下町色を一掃するために、小野宿(鳥居本の南)を政策的に移した。
実際にはもっともっと沢山のことをお話しされていましたが、ざっとこのような感じでした。
お話を聞いたあとは城下町を散策。遺構はほとんど残っていない佐和山城ですが、城下町には外堀、内堀、本町筋、大手門の枡形虎口(ますがたこぐち)や土塁などかなり残っています。さらに、先生が「今日初めて発見しました」と歓喜されていた京橋も見てきました。外堀は昔に比べて随分と狭くなっていますので、下の写真の通り今の京橋はちっぽけですが、先生の説明を聞くことによってタップリと戦国ロマンに浸ることができました。京橋の場所はラブホの南東にありますので、皆さんも探してみてください。

なお、夜には講演会の担当者さんと某新聞の女性記者さんの3人で打ち上げに行ってきました。お酒を一緒に飲んだのはお二人ともに初めてでしたが、魅力的な女性記者さんとはあらためて城下町散策を楽しめればと思った次第です。でも決して京橋の近くにある建物を利用しようなどという不埒なことを考えている訳ではありませんので悪しからず。
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