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井伊直弼と大通寺・・・続き

 井伊直弼と大通寺の件ですが、長浜城歴史博物館のH学芸員に懇切丁寧にお教えいただきました。

 井伊家14男の直弼は、城主になれるわけでもなく養子先も見つからず、埋木舎(うもれぎのや)と名付けた住居で悶々たる日々を過ごしていました。一方、大通寺の住職である厳如上人は、兄の死によって本山の東本願寺法主を継ぐことになりました。このため大通寺は、後釜の住職を見つけなければならず、以前より親交のあった井伊家に対し、直弼の住職就任をお願いしました。しかし、井伊家では次の藩主候補が病気がちで子もいないことから、万が一の場合に備えて直弼をキープしておきたかったので、この話を断ってしまいました。このため、直弼としては折角のチャンスだったにもかかわらず、大通寺の住職になれなかったという訳です。

 直弼の手紙は、大通寺の世話役をしていたお寺に宛てて、親切にしていただいたお礼と、自分の残念な気持ちを伝えたものです。原文は以下の通りです。

先達より段々其方達之深切、誠以観入候、且不浅心配ヲ懸、呉々茂気之毒存入候得共、何分一条不調ニ付、此方ニ無構御坊所御為可然様取計専一存入候、今分ニ而者、何分力ニ不及候得共、追而時世茂相替り候ハゝ、今度之因縁茂有之事故、傍以御坊所之御義者、急度存寄有之候間、左様承知可給候、我等茂実以此度之一条、残念至極存入候もの也    弘化二年六月 柳王舎主人

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