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賤ヶ岳合戦と玄蕃尾城

 先週の10月24日、余呉駅から岩崎山・大岩山を通って賤ヶ岳へ登り、余呉湖畔を時計回りに歩いてきた。11kmの行程は迷うことも熊の危険にさらされることもなく、ひとりでも「爽やかハイキング」として十分に楽しめるコースになっている。
眼下の余呉湖.JPG 賤ヶ岳山頂から余呉湖を望む

 途中の大岩山には、中川清秀の立派な墓がある。茨木城主の清秀は、賤ヶ岳合戦で秀吉方として大岩山砦を守っていたが、柴田勝家方の佐久間盛政の奇襲を受けて討ち死にしている。しかし、清秀の二男・秀成は、父の敵である佐久間盛政の娘・虎姫を妻に迎えている。秀吉の命によるそうだが、敵の娘と結婚しなければならなかったとは戦国の世といえど複雑な心境だっただろう。
 なお、人名の虎姫は、地名の虎姫町とは全く関係ないので悪しからず。
中川清秀墓.JPG 中川清秀の墓

 一週間後の31日には、福井県境の玄蕃尾城跡へ行ってきた。標高459mの内中尾山(柳ケ瀬山)山頂にあるこの城は、賤ヶ岳合戦で柴田勝家の本陣となった山城。流石に国の史跡らしく、保存状態は頗る良くて整備が行き届いている。素人にも山城の考え方や基本構造がわかり、「こりゃすごいな〜」と感嘆させる城だ。いやあ、何回登っても素晴らしい。玄蕃尾城跡は本当にお薦めの場所である。
 玄蕃尾城跡の次に毛受兄弟の墓をお参りに行った。毛受と書いて「めんじゅ」と読むが、賤ヶ岳合戦で敗れた柴田勝家の身替わりになった忠節の人である。この兄弟がいなければ勝家は雑兵に首を取られていたことだろうから、北ノ庄で自害することもできなかったであろうし、茶々・初・お江の3人娘も亡くなっていたかもしれない。余呉は、様々な歴史と人間模様が渦巻く地であることを改めて感じ入った。
毛受兄弟の墓.JPG 余呉町新堂の毛受勝助墓石

 なお、賤ヶ岳と玄蕃尾城跡ハイキングは何れも「湖北エコミュージアム推進協議会」が主催するイベントである。面白い企画が沢山あり、参加料は格安。ガイドが同行しているが参加者は少数なので、たっぷり質問できるのが嬉しい。

追伸 31日は余呉駅から走って帰った。が、無謀だったことを高月あたりで感じ始め、虎姫駅からは電車を利用した。いやぁ、疲れた。

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