« October 2007 | メイン | December 2007 »

November 30, 2007

おぶやまい

 11月28の夜7時半から親戚の「おとりこし」がありました。本日30日もまた違う親戚のおとりこしがありますので、お参りに行きます。おとりこしは浄土真宗開祖・親鸞聖人の命日である11月28日に因んで恩徳を偲び感謝する行事で、本山の東本願寺では11月21日から28日の間に、長浜別院大通寺では1ヶ月早くて10月23日から26日に勤められます。
 おとりこし・報恩講のことを、小生の周辺では「おぶやまい」と呼んでいます。これは「御敬い」が変形した言葉だそうです。最近のおぶやまいは、お経(正信偈と和讃)を唱え、その後にお茶を飲んで雑談するだけですが、20年ぐらい前までは杯を酌み交わすのが習わしでした。こうした中から、お講汁という蕪の味噌汁、豆腐田楽、しらあえ等が郷土料理として根付いてきたのです。
 私たちの祖先は、お寺やお宮さんとの関わりの中で地域独自の生活文化を編み出し育んできました。グローバルスタンダードばかりを追い求めるのではなく、身近な生活を見つめ直す中で、習俗や精神も含めて何が大切かを再考しなければと思うところです。

November 28, 2007

四国の旅

 11月25日の日曜日と26日の月曜日に、四国へ行ってきました。目的は愛媛県西条市の「鉄道パークinSAIJO」オープン式典への参加なのですが、折角の機会とあって近接の何カ所かを巡ってきました。
 初日は、町並み保存で様々な賞を取り、各種メディアに取り上げられてい愛媛県内子町へ。年間訪問客は70万人程度で、主要観光施設である内子座の入館者は約7万人ということでした。数の世界では立地条件の良い長浜には到底及ばないようです。
内子の町並み.JPG
内子の豪商の家はかなり素晴らしいのですが、長浜や京都とは造りや意匠が随分と違って、文化圏の違いをまのあたりにしました。


 香川県丸亀市にも立ち寄りました。お目当ての丸亀城は、城下のどこからでも見える圧巻のランドマーク。何しろ、そそり建つ石垣は60mもあり、日本一の高さを誇ります。
丸亀城.JPG
丸亀城は、1658年から江戸期を通じて京極氏の居城。長浜は秀吉や浅井三代の前は京極氏の領地でしたので、昔のお殿さんの城を拝みたかったのです。


 丸亀市に続いてS駅にも降り立ちましたが、観光案内所のオジサンの対応が素っ気なく、すぐ帰路に。S市は今話題の事件のまちでもあり、残念ながら良い印象を受けませんでした。観光案内所のひとりのオジサンの対応で町の印象が大きく左右されたことは、身につまされました。あらためて、日頃の言動について肝に銘ずるところです。

November 23, 2007

勤労感謝の日に思うこと

 本日は11月23日、勤労感謝の日です。皆々様、毎日お仕事お疲れ様、そしてありがとうございます。勤労感謝の日になったのは戦後で、戦前は新穀を神様に供え、感謝する日でした。ブリジストンだかピレリーだったか忘れましたが、巷では飲食店の星数がなんやかやと喧伝されています。食は文化です。ただ、飽食に溺れることなく、五穀豊穣を祝ったり、収穫に感謝する心を大切にしたいものです。

 なお、本日は黒壁で頑張っていらっしゃる「いずみさん」の誕生日です。いついつまでも笑顔で観光客の皆さんに接してくださいませ。おめでとうございます。

November 22, 2007

鴨・・・食べてきました

 本日、日本一の鴨料理店として名高い鳥新のご主人から急に「時間空いてるか」と電話がかかってきました。何かと思えば、共同通信社の取材があるから同席しないか、というお話です。
 鳥新の座敷に上がったのは午後1時半頃。天保5年(1834)に創業した鳥新さんの歴史、鴨は漁師が獲っていたことから今も淡水魚店で買うこと、長浜の鴨料理は天然真鴨を使っていることなどの取材を受け、料理が準備されている隣室へ。写真をパチパチパチと撮って、今シーズン初めての鴨スキを食べました。実に上品で淡泊かつ奥深いお味。いつ食べても絶品です。鳥新の鴨スキは一人前が11,550円ですから誰もが気軽に食べるお店ではありませんが、全国の美食家が絶賛する贅沢を皆さんも一度味わってみて下さい。なお、鳥新の座布団は鴨の羽布団ですから、座り心地も試してください。

鴨肉2.JPG
手前は軟骨を時間を掛けてペースト状にしたタタキで、これから独特の出汁が出ます。
口に入れると、山椒の香味が相性良く何とも堪りませんなぁ。

鍋2.JPG
鴨肉を最大限に生かすため、具はシンプルに。焼豆腐、湯葉、糸こんにゃく、白菜にネギとセリ。

鴨料理の季節です

 11月15日から「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」に基づいて狩猟が解禁され、鳥類29種と獣類20種を捕獲できることになりました。
 鳥類の中には「マガモ」も含まれていますので、鴨料理の本場・長浜市では多くの飲食店のメニューに鴨スキや鴨鍋定食が加わりました。長浜の鴨料理は決して安くはないのですが、それは養殖や合鴨ではなく、天然のマガモを使っているからなのです。料理の代表は何といっても「鴨スキ」。鴨の軟骨をミンチ状にしたタタキ、糸コンニャク、焼き豆腐、ネギ、セリなどを入れ、最後に鴨肉を色が変わる程度にしゃぶしゃぶと。牛肉のスキヤキと同じように、溶き卵につけて食べるのが一般的です。
 本会では、鴨料理の食べられる店、鴨肉の買える店を一覧表にしたチラシを作成しています。寒い冬は鍋が定番ですが、是非とも鴨スキを味わってみてください。

November 21, 2007

清酒竹生島

 前回狩野永徳について記したが、竹生島に関して少々。
 竹生島にある都久夫須麻神社の本殿は、豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行として伏見城の殿舎(豊国廟の説も)を移築改修したもの。もちろん国宝である。永徳の長男に狩野光信がいるが、この光信が都久夫須麻神社本殿の天井画や襖絵を描いている。極彩色のそれは絢爛豪華そして華麗だ。
※片桐且元は長浜市須賀谷町生まれの戦国武将で秀吉の家臣。賤ヶ岳七本槍の一人として活躍。

 竹生島続きの話だが、親戚から琵琶湖の対岸・高島市の某酒造会社の地酒「竹生嶋」を頂戴した。流行の淡麗辛口とはどこか違って、深いコクと言うか甘味がある。小生好みの旨い酒であった。
 包装紙には「春雨や 酔へるが如き 竹生島」と巌谷小波の句が記されている。滋賀県出身の小波は、古来からの物語「桃太郎」や「花咲爺」を現在の形式に再編した近代日本を代表する児童文学者だ。そして、「日東第一琵琶湖の水の万頃碧を湛ゆる辺・・・」と我が母校の校歌を作詞した人物でもある。また、父親の巌谷一六は明治の三筆と謳われた書家。酒の味もさることながら、一六や小波が好きなのでblogに記させていただいた。

November 19, 2007

狩野永徳と狩野山楽・海北友松

 先週、京都国立博物館で「狩野永徳展」を見てきた。開館時間にあわせて行ったにもかかわらず1時間以上も待たねばならない人気で、パンフレットに「信長さま・秀吉さまご推奨!!天下をとった絵師」とある通り流石に作品は素晴らしく圧倒されてきた。(晩年の巨大画は奇怪というか異常を感じたが−)

 狩野永徳の弟子に狩野山楽がいる。山楽は浅井長政の家臣・木村長光の子で木村光頼といったが、浅井氏が信長に滅ぼされた後に秀吉の家臣となり、秀吉の推挙で永徳の弟子になる。
 永徳と同時代の絵師に長浜市瓜生町生まれの海北友松(かいほうゆうしょう)がいる。友松もまた浅井長政の家臣・海北綱親の子として生まれるが、豊臣秀吉に絵の才能を認められて絵師となった。
 狩野永徳の作品に接し、あらためて郷土の先人の素晴らしさを感じた。なお、狩野山楽と山雪の山水画が、長浜御坊大通寺の客室である含山軒に残っている。大通寺には円山応挙や岸駒の障壁画があるし、名勝庭園もある。一度ゆっくりと(1時間ぐらいかけて)お訪ねいただきたい。

November 16, 2007

秋の紙芝居祭り

 長浜かみしばいボランティアグループという団体があり、以前から紙芝居を通じて子どもたちとふれあい、まちづくりを率先されている。代表のM女史から久し振りに電話があったと思ったら、すぐにまた訪ねてこられ、紙芝居祭りを行うので協力してほしいとのことだった。
 会場は長浜市街地の観光名所前で、地元の親子も観光客も楽しめるストリートライブである。内容は誰もが知っている「ももたろう」や「さるかに」、大通寺に伝わる昔話「お花ぎつね」、曳山まつり子ども歌舞伎の町らしく「絵本太閤記十段目」、昨年のNHK大河ドラマ功名が辻で人気を博した「山内一豊・千代物語」など。実にバラエティーに富んでいる。
 日々進化するハイテクではなく、地方都市ならでは生身の演じ手のローテクを楽しみ、心温まるふれあいのひとときを過ごしていただければ幸いだ。

日時 平成19年11月18日(日)午前10時30分〜午後2時30分  ※雨天中止
会場 長浜城正面石段下、長浜鉄道スクエア前庭、曳山博物館広場、表参道お花館前

November 14, 2007

きつねにつままれた町

きつねにつままれた町  田中冬二
 秋の灯ともし頃の時雨の長浜の町は
 きつねに つままれたやうな町だ
 ここは古い寺院があって 門徒宗が多くて
 家々の造りからも もう北国の町だ
 灯ともし頃を 荒物屋油屋種物屋は暗く
 薬屋だけがあかるく その硝子戸が水族館のやうだ
 遠く暮れる空に伊吹山が未だ見え
 長浜名物の田楽の葱味噌の匂ひが ほのかにして
 秋の灯ともし頃の 時雨に濡れてゐる長浜の町は
 まるで きつねにつままれたやうな町だ

一昨日の早朝、雨中を走っていて何故だか急にこの詩を思い出した。
秋も深まり、時雨の時期がやって来たからかもしれない。
そういえば、この詩を「ワシと同じ苗字の人の詩や」と仰っていたいた方が、
今月から長浜商工会議所の専務理事に就任された。
これまた狐につままれたような人事だった。

November 12, 2007

長浜と尾崎紅葉と吉川三左衛門と十人衆と安藤家・・・

 8月28日のblog「こんぴらまいり」で金色夜叉について記しましたが、著者の尾崎紅葉が長浜にゆかりのあることがわかりました。というのも、紅葉の母親は庸(よう)という名前なのですが、吉川三左衛門の孫娘なのだそうです。
 吉川家は代々三左衛門を名乗り、十人衆の筆頭として江戸期を通じて活躍しました。吉川家は北国街道沿いの舟町に居を構えていましたが、長浜宿の本陣を兼ねていましたので、大名の参勤交代の宿にもなっています。今の長浜幼稚園がその場所ですから、一般的な家と比べたらかなり広くて立派だったことが窺い知れるでしょう。
 長浜に築城した秀吉は城下を49町10組に分け、組を代表する町年寄役を選びました。これが十人衆で、本町の宮部、西村、下村、田辺、呉服町の安藤、大手町の樋口、大依、川崎、魚屋町の今村、舟町の吉川家の10人です。十人衆の制度は江戸期を通じて機能し、長浜は明治維新に至るまで十人衆の合議制による自治都市として発展してきた歴史があります。
 なお、呉服町の安藤とは、今の北国街道安藤家のことです。安藤家の離れ座敷「小蘭亭」は北大路魯山人の手による芸術の宝庫ですが、11月16日から25日までの10日間特別公開します。

November 09, 2007

姉川合戦の史跡巡り

 姉川の合戦再見実行委員会が組織され、合戦の史跡を整備して売り出そうと活動が始まった。11月の5日には、観光ガイドを養成する講習会なるものが行われ、小生も参加してきた。
 姉川合戦は元亀元年(1570)6月28日に、長浜市の姉川を挟んで織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が激突した戦である。今も合戦場所となった長浜市三田町や野村町などには多くの史跡が残っているので、説明を受けながら巡ってみるとかなり面白い。講談師見てきたように嘘を言い、などと記すと講談師にもガイドさんにもお叱りを受けるが、ガイドさんの名調子は興味を抱かせ、旅の楽しさを倍増させてくれる。ぜひとも、名ガイドさんが増えることを期待したい。

三田村城址.JPG
三田町にある国史跡・三田村氏館跡は、周囲に2mから3mの高さの土塁が残っている。
三田村氏は浅井家の家臣で、館は姉川合戦では朝倉景健の本陣として使われたという。

士の墓.JPG
三田町にある七十士の墓。姉川合戦で亡くなった人々が葬られているが、無造作に五輪塔や宝篋印塔が並び、今後の整備が望まれる。小字名は七十酋で、中世以前は酒造りの場所だったとも伝わる。

血川.JPG
野村橋の北にある小川は、両軍の死者の血で赤く染まったところから血川と名付けられた。
しかし、圃場整備により川は姿を消し、土管のみが名残を留めている。

岡山のお宮さん.JPG
東上坂町の岡山。徳川家康が陣を敷き、戦に勝ったところから勝山とも呼ばれている。
写真右は樹齢1300年といわれる杉だが、両軍の矢により枝が折れて上部が枯れたと伝わっている。

遠藤直経墓.JPG
浅井氏の重臣・遠藤喜右衛門直経の墓。直経は配色濃くなると敵軍に偽装して陣中深く忍び込んで信長の命を狙ったが、竹中半兵衛の弟・重矩に見破られてこの地で討ち死にしたという。

November 07, 2007

誕生日でした

 11月3日はボクの誕生日だった。ボクは亥年生まれの年男なのだが、決して24歳でも36歳でもなく、かといって還暦になるほどでもないから、自ずと年齢は分かっていただけるであろう。それと、ボクは「文化の日」生まれなので、文化人を目指したいと心のどこかで憧れているのだが、そうなれる素養があるとも思っていないし、そのような努力をしている訳でもない。ただ、ボクと同じ誕生日の人には、文化人と呼ばれる人や魅力的な人、それにボクが好きな人が意外に多い。お馴染みのところでは、漫画家の手塚治虫・さいとうたかを、作家の山口瞳・西村寿行、俳人の山口誓子、俳優のチャールズブロンソン・柄本明など。それに戦国武将の武田信玄、好きにはなれそうもないけれど足利義昭、足尾銅山鉱毒事件の田中正造、フランスのアンドレマルロー・・・。かなり多彩だと思うが、なぜか男ばかりなのが悲しい。

 3日は「長浜きものの集い」の仕事をしていたが、この司会者から誕生日のプレゼントを頂戴してしまった。司会者は勿論女性でスラリと背が高くって美人ときているが、彼女はボクのblog読者でボクがランナーだと知っているから、プレゼントは村上春樹のエッセー「走ることについて語るときに僕が語る事」。
 氏がランナーだとは知らなかったが、同じランナーとして通じる記述が何カ所もあって、本はスラスラと読み終えてしまった。実はボクの奥さんは11月9日が誕生日で同じくランナーでもあるので、この本を横流し的にプレゼントしようかなどと、司会の彼女にも奥さんにも失礼で無粋なことを考えてもみる。なお、妻からはGマーク(彼女が好きなブランド)のマフラーをもらった。同じ職場で同じ誕生日のATさんは、奥さんから何をプレゼントされたのか気になるところだ。
 誕生日には何人もからお祝いメールが送られてきた。やはり誕生日は、覚えてくれている人が居ることが最大の喜びだ。あらためて、皆さんありがとう。

 団体観光客が動くシーズンになり、バス駐車場はフル回転している。今月は三連休もあるし、当分は多くの観光客で混雑しそうだ。ただ今年のイベントは一通り終わったので、仕事としては仕込み時期に入った。年が明けたら盆梅が始まるし、黒壁の20周年記念事業を仕込み、そして売り出さねばならない。
 一息ついた今夜は、鍋奉行弁慶で職場の仲間と秋のイベンのお疲れさん会。思いっきり呑んで(少しは食べて)、めいっぱい楽しく騒いでやろう。そして明日からは2008年に向けて心機一転頑張ろう。

November 06, 2007

江鮭

 琵琶湖には様々な魚介類が生息していますが、小生が美味と感じる代表は琵琶湖固有種の「江鮭」です。アメノイオとかアメノウオと読むのですが、秋の雨の日に川を遡上して産卵するところから名付けられています。この時期の江鮭は美しく婚姻色を帯び、また雄は鮭と同じく鼻曲がりの勇壮な顔立ちになるそうですが、これは耳学問で自身で確認した訳ではありません。
 江鮭は古来から親しまれ、近江を代表する季語でもあります。童謡「どんぐりころころ」の作詞者・青木存義は「声淋し淀鳥羽暮て江鮭の魚」と詠んでいますし、江戸中期の俳人で芭蕉に反抗した山本荷兮「月は山けふや近江のあめの魚」、与謝蕪村「瀬田降て志賀の夕日や江鮭」の句も残っています。
 なお、現在この魚のことを「ビワマス」と呼んでいます。「それなら知っている、それを早く言えよ」と怒られそうですが、先人が編み出した洒落た名前を味わい、後世に残したいと思っている小生なのであります。この他に、晩秋に鰭が赤く色づいた琵琶湖の鮒を紅葉鮒(もみじぶな)といいます。ですから「紅葉鮒そろそろ比良の雪嶺かな」とか「紅葉鮒湖北に多き観世音」などと晩秋の近江が詠まれています。「紅葉たなご」も同じ考え方の晩秋の季語です。
※江鮭を使った炊き込み御飯は「アメノイオ御飯」と呼ばれ、湖魚のなれずし、湖魚佃煮、日野菜漬け、丁稚羊羹を含めて、平成10年に滋賀県の食文化財に指定されています。郷土料理を文化財に指定した滋賀県を、県民の一人としてとても誇りに思っています。

November 05, 2007

宿泊旅行調査

 株式会社リクルート社「じゃらんリサーチセンター」が、都道府県別の宿泊旅行調査結果をまとめられました。滋賀県はと報告書を読んで・・・愕然と・・・惨憺たる結果です。
 宿泊旅行者数34位、旅行単価44位、消費総額42位、来訪者満足度44位、今後の来訪意向44位。確かに滋賀は地味な県です。観光に派手さはありません。でも文化財の数は東京・京都・奈良に次いで多く、天智天皇の大津京、聖武天皇の紫香楽宮、信長の安土城など都として中心地として栄えてきた歴史があり、観音像は日本一の分布地帯ですし、延喜式式内社の数も・・・
 兎にも角にも懐深い近江の歴史文化を理解していただければ、そんなに悪くはないですよ。皆様、ぜひ滋賀県を見つめ直し、ゆっくり、ゆったり、しっとりと旅してくださいませ。お待ちしています。

November 01, 2007

賤ヶ岳合戦と玄蕃尾城

 先週の10月24日、余呉駅から岩崎山・大岩山を通って賤ヶ岳へ登り、余呉湖畔を時計回りに歩いてきた。11kmの行程は迷うことも熊の危険にさらされることもなく、ひとりでも「爽やかハイキング」として十分に楽しめるコースになっている。
眼下の余呉湖.JPG 賤ヶ岳山頂から余呉湖を望む

 途中の大岩山には、中川清秀の立派な墓がある。茨木城主の清秀は、賤ヶ岳合戦で秀吉方として大岩山砦を守っていたが、柴田勝家方の佐久間盛政の奇襲を受けて討ち死にしている。しかし、清秀の二男・秀成は、父の敵である佐久間盛政の娘・虎姫を妻に迎えている。秀吉の命によるそうだが、敵の娘と結婚しなければならなかったとは戦国の世といえど複雑な心境だっただろう。
 なお、人名の虎姫は、地名の虎姫町とは全く関係ないので悪しからず。
中川清秀墓.JPG 中川清秀の墓

 一週間後の31日には、福井県境の玄蕃尾城跡へ行ってきた。標高459mの内中尾山(柳ケ瀬山)山頂にあるこの城は、賤ヶ岳合戦で柴田勝家の本陣となった山城。流石に国の史跡らしく、保存状態は頗る良くて整備が行き届いている。素人にも山城の考え方や基本構造がわかり、「こりゃすごいな〜」と感嘆させる城だ。いやあ、何回登っても素晴らしい。玄蕃尾城跡は本当にお薦めの場所である。
 玄蕃尾城跡の次に毛受兄弟の墓をお参りに行った。毛受と書いて「めんじゅ」と読むが、賤ヶ岳合戦で敗れた柴田勝家の身替わりになった忠節の人である。この兄弟がいなければ勝家は雑兵に首を取られていたことだろうから、北ノ庄で自害することもできなかったであろうし、茶々・初・お江の3人娘も亡くなっていたかもしれない。余呉は、様々な歴史と人間模様が渦巻く地であることを改めて感じ入った。
毛受兄弟の墓.JPG 余呉町新堂の毛受勝助墓石

 なお、賤ヶ岳と玄蕃尾城跡ハイキングは何れも「湖北エコミュージアム推進協議会」が主催するイベントである。面白い企画が沢山あり、参加料は格安。ガイドが同行しているが参加者は少数なので、たっぷり質問できるのが嬉しい。

追伸 31日は余呉駅から走って帰った。が、無謀だったことを高月あたりで感じ始め、虎姫駅からは電車を利用した。いやぁ、疲れた。