« 観光協会の統合 | メイン | 昨年の続き「大賑わいのGW」 »

颯々館

 黄金週間が終わりました。皆さんも友達や家族とどこかへお出掛けになったことと思います。長浜市も全国から多くのお客様にお訪ねいただき、大賑わいでした。
 小生は、GW中ほとんど長浜市内に居りましたので、市外へ出たのは僅かに2回だけでした。最初のお出掛けは、JR長浜駅から線路沿いに自動車で虎姫町へ。爽やかに晴れ渡る最高のドライブ日和で、長浜駅から虎姫町の姉川橋梁までを4往復。ひとり寂しく、SL北びわこ号の沿線警備の旅でした。もう一度の市外は米原市へ。こちらは、早朝ランニングで旧近江町まで足を伸ばしたに過ぎません。

 5月3日は、「悪友さん」との約束を果たしに行ってきました。
 自宅から自転車で約5分も走れば小堀遠州公生誕地へ。正式には「遠州の父親の屋敷跡」なのですが、時代から考えて「遠州が生まれた場所に間違いない」と考えられています。ここから10m余りで、滋賀県一の牡丹名所・総持寺へ。今が盛りと境内一面に咲き誇り、多くのお客様で賑わっていました。

遠州出生地碑.JPG 総持寺ぼたん.JPG


 総持寺から200mほど離れたところに日枝神社があります。この日はお祭りで、御輿が出る前でした。

日枝神社.JPG 宮司・御輿.JPG


 日枝神社のすぐ前には「宮川陣屋跡」があります。昔、このあたりは彦根藩ではなく「宮川藩」だったのですが、その名残です。お殿様の堀田候は、江戸幕府三代将軍・徳川家光時代に老中として下総国佐倉藩12万石の大名でしたが、元禄11年(1698)に移封されて近江に宮川藩がが誕生しました。

宮川陣屋跡.JPG


 そして、お目当ての日枝神社御旅所へ。真っ昼間の11時30分というのに、曳山だけがデンと曳き出されているだけで、境内には誰もいらっしゃいませんでした。見放題、さわり放題です。
 この曳山は颯々館(さっさつかん)と名付けられ、享和2年(1802)に長浜曳山祭の大手町組壽山と同じ藤岡和泉利盈によって作られています。見送り幕は、ド迫力の龍。宮川藩6代藩主の堀田正民が自ら描いています。

颯々館.JPG 正民候龍図.JPG

 悪友さん。14番目の曳山、写真撮ってきましたよ。ジックリご覧下さい。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.nagahamashi.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/249

コメント

清水さん。お約束の「颯々館」の写真ありがとうございます。シカとこの目に焼き付けました。見送り幕が立派な山車なんですね。このあたりは、総持寺、日枝神社、陣屋跡等々と旧長浜町の近くにこんな一大勢力をもった地域があったのですね。往時の隆盛が偲ばれます。ところで、件の「颯々館」、ちゃんと舞台をもった山車なんですね。ということは、日枝神社の例大祭では、長浜祭りのように子供歌舞伎は奉納されるのでしょうか?旧長浜町の祭礼と旧宮川町の祭礼とでは厳然とした区別がなされていると思いますが、一度14基が勢揃いしたところを観てみたいものです。いずれにしても、GW中の宿題の提出有難うございました。

 悪友さん、よくぞ読んでいただきました。ありがとうございます。
 昔は宮川祭でも歌舞伎が行われていました。これは狂言台本60綴が残っていることからも明白です。
 小生としては、山車の14台勢揃いもさることながら、颯々館で子ども歌舞伎を再現できないかと思っています。長浜曳山文化協会の関係者様、いかがでしょうか。

平成2年の月宮殿パンフレットによれば、明治以降この山で歌舞伎が奉納されたのは大正9年、15年、昭和3年、8年、そして昭和27年の堀田候開封250年祭の時が最後とのことです。ちなみに曳山建造の17年前に神輿を作ったため、費用不足で亭はつくれなかったそうです。亭はなくても女性は上がらせてもらえないんでしょうかね。

 翁恵さん、お久し振りです。
 昭和27年に歌舞伎が行われたとは知りませんでした。300年祭は5年前でしたか・・・。小生が生きている内に何とか実現させたいものです。
 なお読者の皆様、曳山のお囃子演奏室でもある最上階は、「亭」と書いて「チン」と読むんですよ。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)